はじめに
こんにちは、富士通研究所 コンピューティング研究所の栗林壮太郎です。Materials Informatics特集の第10回は、因果発見AIの適用事例として、富士通研究所 デバイス&マテリアル研究センターとの社内実践事例を紹介します。本事例では、従来人手で行われてきた半導体デバイスの性能向上案の妥当性の検証に因果発見AIを適用することで、検証期間を大幅短縮し、かつ、詳細な性能向上の原理を見出すことを目標としました。本事例の関連論文が学術雑誌Applied Electronic Materialsで2025年5月25日に掲載されています[1]。
材料分野への因果発見の適用イメージ
因果発見AIは、入力されたデータに含まれる全ての変数の因果関係を図1のようなグラフとして出力します。以降、このグラフを因果グラフと呼びます。私たちは、因果グラフを材料の研究開発に適用する研究に取り組んでいます。因果発見AIに関し、シミュレーションデータへの適用事例を前回のMI特集#9のこちらで紹介しています。一方、本記事では実験・製造への適用事例を紹介します。
材料分野では、製造装置の設定と性能の関係を機械学習によってモデル化する研究が行われています[2]。しかし、周知のとおり、機械学習の推論ロジックは人が理解することが困難であるという、ブラックボックス問題が存在します。そこで、機械学習の推論結果の妥当性を検証するため、性能以外にも様々な測定を行い、相関行列や散布図行列などを用いて、推論結果の解釈に有用と思われる変数の組み合わせを抽出し、材料工学における既存研究の結果と照らし合わせる作業が、人手で行われています。
私たちは、因果発見AIによってこれらの作業を効率化する研究を進めています 。すなわち、製造装置の設定値と製造物の測定値、性能を因果発見AIに入力し、因果グラフを得ることで、機械学習が導き出した性能向上案に関わる変数と関数関係を理解できるようにします。例えば、因果発見AIを適用した結果、図1のような因果グラフが得られたとします。

図1 因果グラフの例
グラフの入口側には製造装置の設定値、すなわち製造時に可変な変数が、グラフの出口側には性能に関する変数が存在し、両者の間にはその他の製造物の測定値が存在します。矢印は因果関係を示し、始点側が原因変数、終点側が結果変数です。また、矢印の横にあるE**は、因果関係の強さを示す因果効果です。
このとき、製造装置の設定値である変数1と性能である変数5が、製造物の測定値である変数4を介して間接的に因果関係を持つことが分かります。同様に、変数2と変数5も変数3を介して間接的な因果関係を持つことが分かります。したがって、変数1と変数4、変数4と変数5、変数2と変数3、変数3と変数5の関係が材料工学の既存研究の結果から説明できると、その原理を理解できます。
さらに、因果効果の大小比較により、製造装置の設定値のうち変数1と変数2のどちらが性能である変数5の変化に強く寄与するかということも理解できます。加えて、網羅的に変数間の因果関係を確認できるため、当初は想定していなかった変数間の関係にも気づき、新たな知見が見出される可能性が高まります。
材料分野における各項目の変数は、例えば表1に示すものが考えられます。
項目 | 例 |
---|---|
製造装置の設定 | 製造装置の温度設定など |
製造物の測定値 | 製造物の厚さなど |
性能 | 製造物の耐電圧や抵抗値など |
私たちコンピューティング研究所は、デバイスの研究に取り組む富士通研究所 デバイス&マテリアル研究センターと共同で、半導体であるGaN-HEMT製造への因果発見AIの適用研究に取り組んでいます。詳細は論文[1]で紹介していますが、以降では因果発見AIを適用することで、原理がどう理解しやすくなったかを解説します。
因果発見AIの半導体デバイス設計への適用
本事例の目標は、半導体の成膜時の性能改善案とその原理を見出すことでした。そこで、半導体の製造に関わる変数を表2に示すとおり3項目に分類しました。これらの分類は、GaN‐HEMT用アモルファスSiN薄膜蒸着の研究に取り組むデバイス&マテリアル研究センターの経験に基づいています。
分類 | 内容 | 表記 | 単位 | 意味 |
---|---|---|---|---|
独立 変数 |
成膜装置で設定可能な変数 | VSiH4 | SCCM | SiH4ガスの流量 |
PRF | W | 成膜時の高周波電力 | ||
Tanneal | ℃ | アニール温度 | ||
tanneal | min. | アニール時間 | ||
中間 変数 |
成膜された材料の化学的特徴 | n | - | 屈折率 |
NS | cm-2 | 二次元電子ガスの電子密度 | ||
μ2DEG | cm2・V-1・s-1 | 二次元電子ガスの移動度 | ||
ρ | g・cm-3 | 薄膜密度 | ||
ISi-H | a.u. | FT-IRスペクトルにおけるSi-H強度 | ||
νSi-H | cm-1 | FT-IRスペクトルにおけるSi-Hピーク位置 | ||
IN-H | a.u. | FT-IRスペクトルにおけるN-H強度 | ||
νN-H | cm-1 | FT-IRスペクトルにおけるN-Hピーク位置 | ||
ΔλN-H | cm-1 | N-Hピークの半値全幅 | ||
ISi-N | a.u. | FT-IRスペクトルにおけるSi-N強度 | ||
νSi-N | cm-1 | FT-IRスペクトルにおけるSi-Nピーク位置 | ||
σin-plane | MPa | 面内応力 | ||
目的 変数 |
デバイス性能に関わる材料の電気的性能(特徴) | VBD | V・nm-1 | 電極間漏れ電流が1×10-5A・cm-2に達した時の電圧 |
ΔV | V | C-V測定におけるヒステリシス電圧差 | ||
Rsh | Ω・sq.-1 | 二次元電子ガスのシート抵抗 |
デバイス&マテリアル研究センターでは、独立変数の値の組合せを10通り振って製造したGaN‐HEMT用アモルファスSiN薄膜蒸着に対し、中間変数と目的変数を測定しました。その後、相関行列や散布図行列を用いて、独立変数と目的変数との関係を結び付ける中間変数や、中間変数同士の関係を人手で検討していましたが、部分的な把握しかできない状況でした。なお、表3は検討に用いられた相関行列です

そこで、因果発見AIを適用して図2のような因果グラフを確認しました。ただし、因果グラフの取得に際して表4に示す工夫を施しました。

図2 GaN‐HEMT用アモルファスSiN薄膜蒸着の測定データに関する因果グラフ
項目 | 内容 | 目的 |
---|---|---|
標準化 | 変数毎に平均0、標準偏差1になるように変数を変換 | 変数間の値の範囲が大きく異なることにより、因果効果が極端に大きく(小さく)見え、重要な因果関係を見誤ることを防ぐ |
条件制約 | 因果グラフの入口を独立変数、出口を目的変数に制約 | デバイス&マテリアル研究センターの知見を取り入れる (条件制約をしない場合、必ずしもデバイス&マテリアル研究センターが定めた独立変数や目的変数がそれぞれ、因果グラフの入口側や出口側に現れるとは限らない) |
グラフの枝刈り | 低相関や因果効果がほぼ0の因果関係の描画を省略 | 変数間の関係性の理解に繋がりにくい因果関係を省き、重要そうな因果関係のみ描画する |
表3と図2を比較すると、図2の方が、独立変数から中間変数を介した目的変数までの関係が理解しやすくなっています。また、図2において赤色や青色で示される因果関係は、材料分野の既存研究の結果で説明可能です。
例えばVSiH4を増やすことでVBDを減少させるという案を機械学習が導き出し、相関関係を確認することで負相関があることも分かったとしても、どのような変数を介してこの負相関が生じるかを検討することは大変な作業です。実際、人手では検討に2週間ほど要していました。
一方、因果グラフを見ると、表5の通り、VSiH4からVBDへの因果関係は直接的な因果関係の他に間接的な因果関係が複数存在し、因果効果の符号も正と負の両方が存在することが分かります。ただし、直接的な因果効果、および、全ての間接的な因果効果の総和を考慮すると、因果効果はやはり負になることが分かります。なお、相関係数と因果効果の符号が共に負値で一致しており、双方の考察結果に矛盾がないことを意味します。
直接的 / 間接的 | 因果関係のパス (括弧内は因果効果) |
因果効果 |
---|---|---|
直接的 | VSiH4 ー (-1.71) → VBD | -1.71 |
間接的 | VSiH4 ー (-0.93) → ρ ー (1.14) → VBD | -0.93 × 1.14 = -1.06 |
VSiH4 ー (0.76) → n ー (0.71) → VBD | 0.76 × 0.71 = 0.54 | |
VSiH4 ー (0.54) → ISi-H ー (1.31) → VBD | 0.54 × 1.31 = 0.70 | |
VSiH4 ー (0.56) → μ2DEG ー (-0.61) → VBD | 0.56 × (-0.61) = -0.34 | |
直接的 + 間接的 | - | -1.71 -1.06 + 0.54 + 0.70 -0.34 = -1.87 < 0 |
VSiH4とVBDの関係の他にも、機械学習によってモデル化された独立変数と目的変数の関係があります。詳細は1をご参照下さい。それらの関係を結び付ける中間変数の絞り込みと既存研究とのすり合わせが、人手では2週間を要していました。しかし、因果発見AIの適用によって中間変数の絞り込みが素早くでき、既存研究とのすり合わせまで全てを1日で行えるようになりました。しかも、表4に示したような工夫、特に、専門家の知見との組合せや、見るべき因果関係の絞り込みなどにより、10サンプルという少量のデータでも因果グラフを取得し、従来の人手による検討と同等な検討結果が得られる事例ができました。
まとめ
因果発見AIを適用することで、少量のデータから材料の性能を向上させる原理を見出せる事例を紹介しました。一方、今後より多くの変数を含むデータに対して因果発見AIを適用すると、因果関係を持つ変数のペアが増え、因果グラフのエッジも増えて見にくくなることが予想されます。今後、そのようなグラフでも解釈を容易にする手法の検討を進めつつ、実践事例を増やしてまいります。
一方、今回は全てのデータに対する因果グラフを用いて考察しました。この場合、変数毎に線形な関係を抽出できます。しかし、全ての現象が線形な関係で与えられるとは限らず、非線形な関係で与えられるかも知れません。因果発見AIでは、変数の範囲に関する特徴的な条件を自動的に抽出し、この条件でデータを分け、各部分データに限定した (条件付き) 因果グラフも取得できます。これにより、非線形な関係も区分線形で近似して捉えられます。条件付き因果グラフを用いた考察により、より詳細な原理が導き出せることが期待されます。
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参考文献
[1] Kenji Homma, Akito Maruo, Sotaro Kuribayashi, Hiroyuki Higuchi, Hideyuki Jippo, Atsushi Yamada, and Toshihiro Ohki, "Optimizing and Understanding amorphous SiN Thin Film Deposition for GaN-High-Electron-Mobility Transistors Using Machine Learning and Causal Discovery”, Applied Electronic Materials, 2025. https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acsaelm.5c00408
[2] Kenji Homma, Yu Liu, Masato Sumita, Ryo Tamura, Naoki Fushimi, Junichi Iwata, Koji Tsuda, and Chioko Kaneta, "Optimization of a Heterogeneous Ternary Li3PO4–Li3BO3–Li2SO4 Mixture for Li-Ion Conductivity by Machine Learning", The Journal of Physical Chemistry C, 2020, Vol 124/Issue 24, 12865-12870. https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcc.9b11654