
こんにちは、富士通研究所の松村、西口、山崎です。我々のプロジェクトでは、Materials Informatics (MI) の研究開発を行っており、材料技術に関するお客様の課題を解決することを目的として活動しております。
今回のMaterials Informatics特集では、私たちが開発している分子動力学シミュレーション向けニューラルネットワーク力場を作成するツールGeNNIP4MD [1]に搭載している知識蒸留機能を活用し、全固体電池の固体電解質界面層の形成シミュレーションを、固体電解質膜と負極金属による12万原子を超える固固界面モデルの分子動力学 (Molecular Dynamics, MD) シミュレーションで実施した事例についてご紹介します。
全固体電池開発の課題「固体電解質界面層(SEI)」形成メカニズムを解き明かす
近年、電気自動車の普及や再生可能エネルギーの導入拡大に向けて、次世代バッテリーの筆頭として全固体電池への期待が高まっています。全固体電池は液体の電解質を使わないため、発火のリスクが少ない、長寿命、高エネルギー密度といった数々のメリットが期待されています。
しかし、その開発は容易ではありません。特に、電池の性能や寿命を大きく左右する重要な要素でありながら、その挙動が複雑で解明が困難だったのが「固体電解質界面層(Solid Electrolyte Interphase, SEI)」の形成メカニズムです。このSEI層は、電解質と電極の間に形成されるわずか数ナノメートルの非常に薄い層で、この層の安定性が電池の充放電サイクル寿命や安全性に直結します。これまで、原子レベルでの詳細な構造解析を行うことが、全固体電池開発における長年の課題とされてきました。
このような背景の中、私たちは、AI技術を駆使することで、12万原子を超える大規模な全固体電池の界面構造を、10ナノ秒という長時間の挙動にわたって、高速かつ高精度にシミュレーションする技術を開発しました。これにより、これまで実験では困難だったSEIの原子レベルでの形成プロセスが明らかになり、全固体電池の実用化を大きく加速させる可能性を秘めています。
界面を扱うMDシミュレーションの難しさ
MDシミュレーションは、材料の原子レベルでの挙動を解析する強力なツールです。しかし、全固体電池のような複雑な材料において、数万以上の原子からなる大規模な系を、電池の動作に十分な数ナノ秒以上の長期間にわたって安定的にシミュレーションすることは極めて困難でした。
特に、高性能なシミュレーションには「力場」と呼ばれる原子間の相互作用を記述するモデルが不可欠です。近年、AIの一種であるニューラルネットワークを用いた力場(NNP: Neural Network Potential)が注目されていますが、これもまた課題がありました。一つは、汎用的な「公開NNP」では、全固体電池のような特殊な材料でシミュレーション中に材料構造が崩壊してしまう問題。もう一つは、典型的な公開NNPが採用するグラフニューラルネットワーク(GNN)が計算速度が遅く、12万原子規模の長時間のシミュレーションでは、ゆうに1年以上もの計算時間が必要となり、現実的な開発には使えなかった点です。
GeNNIP4MDの「知識蒸留」
今回、私たちはGeNNIP4MDの知識蒸留機能を用いることで、前述の精度と計算時間の問題を解決し、12万原子規模の全固体電池界面の10ナノ秒にわたるMDシミュレーションを、わずか1週間という現実的な計算時間で実行できるようになりました。 図1にGeNNIP4MDの知識蒸留の概要を示します。

GeNNIP4MDの知識蒸留では、オープンソースなどで公開されている、大量のデータで訓練された事前学習済みの機械学習力場を教師モデルとして、その知識を軽量な生徒モデルに効率よく移すことができます。これにより、ゼロから生徒モデルを訓練する場合に比べて、教師データの数を少なく抑えることができます。この知識蒸留により、従来は開発が困難であった化学反応を高精度に記述でき、かつ大規模・長時間のシミュレーションが可能な機械学習力場を、少ない計算コストで自動的に構築することが可能になります。
全固体電池の界面モデルのMDシミュレーション結果
上述の知識蒸留機能を用いて作成したNNPを用いて、全固体電池の固体電解質膜と負極電極の界面モデルのMDシミュレーションを実行しました。 始めに、図2(a)に示す1,344原子の界面モデルを用いて、公開NNPとGeNNIP4MDで作成したNNPの評価を1ナノ秒のMDシミュレーションで実施しました。 その結果、公開NNPでは界面構造が崩壊し空孔が発生しました。さらに、1ナノ秒のシミュレーション完了までに約46時間もの時間がかかりました。一方でGeNNIP4MDで作成したNNPでは界面構造が崩壊せずに安定したMDシミュレーションが実施できました。また、シミュレーションも約1.5時間で完了しました。
次に、127,269原子で構成される界面モデルを作成し、GeNNIP4MDで作成したNNPによりMDシミュレーションを実施しました。 その結果、図2(b)に示すように、12万原子を超える超大規模構造であったとしても、10 ナノ秒にわたる安定した長時間MD シミュレーションを、約1週間の計算時間で実行できることを確認しました。その結果、これまで実験や既存のMD シミュレーションでは困難であった、全固体電池の性能を大きく左右する固体電解質界面層(SEI)の構造解析を実現しました。

さいごに
今回は、GeNNIP4MDの知識蒸留機能を活用し、全固体電池の固体電解質膜と負極電極の界面におけるSEI形成過程といった複雑な化学反応過程を、大規模かつ高精度なMDシミュレーションで再現した事例をご紹介しました。
本手法により、従来はシミュレーションが困難であった12万原子を超える界面系の化学反応を、第一原理計算に匹敵する精度で追跡することが可能になりました。SEI は全固体電池の充放電サイクル寿命と安全性を決定づける現象であり、その原子レベルでの形成メカニズムと安定性要因の解明が望まれています。本技術により、これまで未解明であった原子レベルでのSEI の形成プロセスの解析が実現し、SEI の形成抑制手法の開発が加速されることが期待されます。
参考文献
[1] N. Matsumura, et al., "Generator of Neural Network Potential for Molecular Dynamics: Constructing Robust and Accurate Potentials with Active Learning for Nanosecond-Scale Simulations.", J. Chem. Theory Comput. 2025, 21, 3832–3846.
お問い合わせ
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