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量子アルゴリズムによる複雑系材料開発の飛躍的加速

 皆様、こんにちは。量子研究所の量子アプリCPJの木村です。今回ご紹介する技術は、2026年5月1日に早稲田大学(富士通文中記載)にてプレスリリースされました早稲田大学と富士通の共同研究による最新の研究成果です[1]。この発表を多くの方々にお届けするため、Fujitsu Tech Blogでも詳しくご紹介させていただきます。その詳細はNature Portfolio社の「Scientific Reports」に掲載された論文[2]でもご確認いただけます。

研究背景:量子技術と材料科学の融合 量子技術の台頭と「量子優位性」への期待

 現代の計算科学は、量子力学の基本原理である重ね合わせ (superposition) と もつれ (entanglement) を利用する量子アルゴリズムによって、新たなパラダイムシフトを迎えようとしています。これらの原理を応用することで、今日の古典コンピュータでは実質的に不可能な計算を達成し、「量子優位性 (quantum advantage)」または「量子超越性 (quantum supremacy)」と呼ばれる、指数関数的な性能向上を実現する可能性を秘めています。量子コンピューティングは、現在は「ノイズの多い中間規模量子 (noisy intermediate-scale quantum; NISQ)」時代とその先に位置しています 。完全な誤り訂正が困難なこの時代においても、革新的なアイデアが分野全体を前進させる可能性を秘めています。物理学、化学、数学、材料科学、コンピュータサイエンスといった多岐にわたる学際領域の融合は、計算の未来を創造するユニークな機会を提供しています。量子アルゴリズムの大きな利点は、n個の量子ビット(qubit)が同時に 2n個の状態を保持できる重ね合わせの原理にあります。これにより、数百から数千の量子ビットで、観測可能な宇宙のすべての原子を古典的ビットとして使用しても表現できないような膨大なデータを処理することが可能となります。

材料科学における計算科学の課題:材料インフォマティクス (MI) とその限界

 近年、情報科学、特に機械学習を材料開発に適用することで、開発プロセスを加速・効率化する材料インフォマティクス (materials informatics; MI) が大きな注目を集めています。特定の要件を満たす材料の開発は、研究者の経験と直感に大きく依存し、時間と資源を大量に消費する試行錯誤的な実験の繰り返しに支えられてきました。これに対し、MIは情報科学を材料開発サイクルに導入することで、個人の専門知識への依存を減らし、時間とコストの著しい節約を可能にしています。 MIの中でも、材料特性の予測は特に重要な要素です。近年、線形アルゴリズム 、サポートベクターマシン 、ツリーベースアルゴリズム 、さらには深層学習(DNNs)、転移学習、グラフニューラルネットワーク(GNNs)といった高度な手法まで、多種多様な機械学習モデルが材料特性予測に応用されてきました 。しかしながら、実験的な特性データのみから信頼性の高い予測を行うことには、依然として大きな課題が存在します。主なボトルネックは以下の2点です。 ①訓練可能な記録の不足: 材料開発プロジェクトにおける典型的なデータセットサイズは、101 から 102程度と非常に小さいです。これは実験が高コストで時間を要するためであり、機械学習の適用を困難にしています。 ②材料特性の複雑性  材料特性は原子スケールでの複雑な相互作用から生じるため、単純なモデルでは捉えきれない非線形性を示します。材料特性の複雑な非線形性は線形モデルでは十分に捉えきれません。 これらの課題を鑑みると、材料システムの本質的な複雑性を捉えつつ、限られたデータ量と不安定な構造情報という制約下で、高い予測性能と汎化能力を持つ新たな機械学習アプローチが不可欠です。

量子回路学習 (Quantum Circuit Learning; QCL) の可能性

 量子回路学習 (QCL) は、古典的な機械学習、特に回帰タスクに類似したタスクを実行するために、量子力学の原理に基づいた量子機械学習 (Quantum Machine Learning; QML) の手法です。 QCLは、このNISQデバイス上での動作を前提として設計された量子-古典ハイブリッドアルゴリズムです。NISQデバイスで実行可能な量子アルゴリズムは限られていますが、ここでも古典コンピュータのサポートを得ることで「量子優位性」が期待されています。

 その主な特徴は以下の通りです。

1.表現能力の向上 (Enhanced Expressive Power):   QCLは、量子ビット数に対して指数関数的に大きな基底関数セットを用いて効率的に学習することが可能です。これにより、古典モデルでは表現が困難な複雑な非線形性を捉える高い表現能力を獲得します。

2.過学習の抑制 (Mitigation of Overfitting):  量子回路計算に内在するユニタリ性 (unitarity) の制約は、過学習を自然に緩和すると言われています。これは、特にデータセットが小さい材料科学の分野において、モデルの汎化性能を保証する上で極めて重要な特性です。

3.ゲートアーキテクチャ (Gate Architecture):  本研究で使用されたQCLのゲートアーキテクチャは、以下の要素で構成されます(図1参照)。 入力データの量子状態へのエンコード: 入力データは、ユニタリ変換を介して量子状態にエンコードされます。エンコーダとしては、Bloch球上でのRyおよびRz回転ゲートが用いられ、入力を量子状態の角度として表現します。 パラメータ化された変分回路 (Parameterized Variational Circuit): エンコードされた量子状態に対し、U(θ) と表されるパラメータ化された変分回路が適用されます。この回路では、隣接する量子ビットがCNOTゲートで絡み合わされ(エンタングルメント)、各量子ビットにはパラメータ化されたRyおよびRz回転ゲートが適用され、本研究では、この構造が4層で構成されています。パラメータの最適化: 予測モデルは、この変分回路のパラメータ を最適化することによって構築されます。

図1 量子回路

QCLによる機械特性予測

 これまでの早稲田大学と富士通の共同研究において実験データを用いた4種類の化学特性予測に関して、QCLが少量のデータセットから線形関数と非線形関数の両方を学習できるという利点を示し、化学・材料研究において不可欠な外挿領域の予測に有効であると報告しています[3]。  本研究では、さらに挑戦的なタスクとして、ハイエントロピー合金(HEAs)の機械的特性予測にQCLを適用しました(図2 [4])。HEAsは5つ以上の元素からなる合金であり、その構成元素の多さから「カクテル効果」と呼ばれる相乗効果を発揮し、従来の材料では達成できない特性を示す可能性があります。しかし、莫大な数の組成組み合わせとカクテル効果に起因する複雑性は、その特性予測を困難にしています。

図2 ハイエントロピー合金

 評価には、HEAsの既存の実験データセットを用い、従来の機械学習手法(線形である線形回帰(LR)、リッジ回帰(Ridge)、ベイジアンリッジ回帰(BR)、線形サポートベクタ回帰(linear_SVR)、非線形であるガウス過程回帰(GPR)、サポートベクタ回帰(rbf_SVR)、ランダムフォレスト(RF)、勾配ブースティング回帰木(GBDT)と多層パーセプトロン(MLP))とQCLの両方を適用してHEAsの機械的特性を予測を行い、限られたデータから固有の非線形性を捉えつつ高い精度を達成できるアルゴリズムを探索を行い、新たな複雑材料の設計・開発初期段階において、QCLがいかに貢献できるかを実証を行いました。

QCLの性能評価 全体的な予測性能

 ハイエントロピー合金のビッカース硬度予測において、既存の機械学習手法の中では、GBDTなどの非線形モデルが最も高い予測精度を示しました。一方で、これらの手法は訓練データへの依存が強く、未知データに対しては性能が不安定になる傾向も確認されました。QCLは、過学習を抑えながら安定した予測性能を維持しました。従来のニューラルネットワーク(MLP)や線形モデルと比べても、非線形性を適切に捉えつつ、汎化性能に優れている点が特徴です。

未知領域(適用範囲外)での強さ

   材料探索では、訓練データの範囲外、すなわち「これまでに試されていない組成」を予測できるかどうかが極めて重要です。この適用範囲外の評価(図3 [4])において、QCLは予測精度をほとんど落とすことなく、安定した性能を維持しました。 一方で、従来の深層学習モデルは性能が大きく低下し、未知領域での予測が難しいことが分かりました。この結果は、QCLが訓練データに過度に依存せず、より広い材料空間を扱える可能性を示しています。

図3 未知領域(適用範囲外)での強さ

外挿予測における優位性

 さらに難易度の高い課題として、「訓練データよりも高い硬度を持つ材料」を予測する外挿評価を行いました(図4 [4])。この条件下で、QCLは最も小さな予測誤差と、最も安定した予測結果を示しました。多くの既存モデルでは、訓練データの最大値を超える予測自体が困難であったのに対し、QCLは一定の割合でそれを達成しており、外挿に適したモデルであることが確認されました。これは、量子回路が持つ高い表現力と、物理的制約に基づく学習構造によるものと考えられます。

図4 外挿予測における優位性

少量データでの実用性

 実験データが限られる初期の材料開発フェーズを想定し、少量データでの性能も評価しました。データ数が非常に少ない条件でも、QCLは比較的安定した予測性能を示し、データ数が増えるにつれて着実に精度が向上しました。この特性は、「まず少ない実験結果から有望な材料候補を絞り込む」という実際の材料探索プロセスと非常に相性が良いと言えます。

まとめ

 本研究の性能評価から、QCLは以下のような特徴を持つことが明らかになりました。  •最高精度を競うモデルではなく、未知領域に強い汎化型モデル  •過学習を抑え、外挿や適用範囲外予測で安定した性能を発揮  •少量データからでも活用可能で、材料探索の初期段階に適している  これらの点から、QCLは高エントロピー合金のような複雑材料に対し、限られたデータから広大な組成空間における優れた新材料を発見することを目指す材料インフォマティクスにおいて有望な「発見のためのAI」のアプローチであることわかります。

参考文献

[1] 早稲田大学プレスリリース:https://www.waseda.jp/inst/research/news/84283

[2] Scientific Reports:

論文名:Efficient Quantum Algorithm for the Design of Complex Materials: Quantum Circuit Learning

著者:Sota Osaki, Kazuki Hoshitani, Makoto Nakamura, Koichi Kimura , Tomoyuki Yamamoto

URL:https://www.nature.com/articles/s41598-026-43584-8

[3] Hatakeyama-Sato, K., Igarashi, Y., Kashikawa, T., Kimura, K. & Oyaizu, K. RSC Adv. 2, 165–176 (2023).

[4]図2,3,4:早稲田大学理工学術院山本研究室作成、提供