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Materials Informatics特集 #14:GeNNIP4MDによるニッケル合金の水素脆化解析 - fltech - 富士通研究所の技術ブログ

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Materials Informatics特集 #14:GeNNIP4MDによるニッケル合金の水素脆化解析

はじめに

こんにちは、富士通研究所 コンピューティング研究所の松村、岩崎、吉本です。 先日、弊社が開発している分子動力学(Molecular Dynamics: MD)シミュレーション向けニューラルネットワーク力場(Neural Network Potential: NNP)の自動生成ツールGeNNIP4MD (Generator of Neural Network Interatomic Potential for Molecular Dynamics)[1]を活用した、日本製鉄様によるニッケル合金の水素脆化(ぜいか)の解析事例が、材料系の国際論文誌Communications Materialsに掲載されました[2]。そこで今回のMaterials Informatics特集では、その論文内容についてご紹介します。

論文: NNP-MDによるニッケル合金の水素脆化の解析
www.researchsquare.com

GeNNIP4MDの詳細
blog.fltech.dev

論文紹介

【はじめに】水素社会実現への道と材料の課題

近年、地球温暖化対策と持続可能な社会の実現に向けた動きが世界中で加速しており、その中で「水素社会」の構築は極めて重要なテーマとして位置づけられています。水素は燃焼時に二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーとして注目され、燃料電池車(FCV)の開発・普及、さらには水素製造、輸送、貯蔵、利用に至るまでのサプライチェーン全体が急速に整備されつつあります。特に、FCVや水素ステーションといったインフラの拡充は、水素エネルギーの社会実装を加速させる上で不可欠です。

しかし、水素エネルギーの利用拡大には、依然として克服すべき重要な技術的課題が存在します。その一つが、高圧水素環境下で使用される金属材料の水素脆化(Hydrogen Embrittlement: HE)です。水素脆化とは、金属材料が水素原子を吸収することで、その強度や延性、靭性といった機械的特性が著しく低下し、最終的には予期せぬ破壊に至る現象を指します。配管、バルブ、貯蔵タンクなど、水素を取り扱う様々な金属部品において、この水素脆化は安全性を脅かす深刻な問題となっており、そのメカニズムの解明と対策技術の開発は喫緊の課題です。

水素脆化を根本的に解決し、より安全で信頼性の高い水素関連インフラを構築するためには、材料内部における水素の挙動、特に「拡散」と「溶解」のメカニズムを原子レベルで詳細に理解することが不可欠です。

【背景】複雑な合金系における水素挙動の解明の困難さ

本研究の背景には、実用的な合金材料の複雑性という大きな課題がありました。 実際の合金は、複数の元素が不規則に配置された「ランダム合金」であることが多く、その複雑な原子配列が水素の挙動に与える影響は多岐にわたります。例えば、特定の合金元素が水素の溶解度や拡散速度に非線形な影響を与えることが実験的に示されていましたが、その原子レベルでのメカニズムは不明瞭なままでした。特に、ニッケル(Ni)基合金における水素拡散挙動は、水素脆化現象を理解する上で非常に重要であるものの、マンガン(Mn)といった合金元素が磁気特性を持つ場合など、その相互作用を正確に記述する原子間ポテンシャルの開発は極めて困難でした。

【技術課題】従来のシミュレーション手法の限界

このような複雑な合金系における水素挙動の解明には、従来のシミュレーション手法では限界がありました。

  • 第一原理計算(DFT)の計算コスト: 量子力学に基づいて原子間の相互作用を正確に記述できるDFT計算は、高い精度を誇ります。しかし、その計算コストは非常に高く、数千原子規模のシミュレーションを長時間行うことは事実上不可能です。水素拡散パスの多様性や、ランダム合金における数多くの原子配置を網羅的に評価することは、DFT単独では非現実的でした。
  • 経験的原子間ポテンシャルの限界: 従来の経験的原子間ポテンシャルは、計算速度は速いものの、特定の物質や条件下でしか機能しないことが多く、化学結合の変化や電子状態の複雑な変化を伴う現象、例えば水素の溶解や拡散における微妙なエネルギー変化を正確に記述することは困難でした。特に、Ni-Mn-Hのような三元系で、かつ磁性を持つ系に対して高精度なポテンシャルを構築することは、これまで報告されていませんでした。 結果として、「高精度だが計算が遅いDFT」と「計算は速いが精度に限界がある経験的ポテンシャル」というトレードオフが存在し、原子レベルでの深い理解に基づく材料設計の大きな障壁となっていました。

【提案手法】GeNNIP4MDによるニューラルネットワークポテンシャル(NNP)の構築

本研究では、これらの技術課題を克服するために、GeNNIP4MDを用いた新しいアプローチを提案しました。 GeNNIP4MDは、機械学習原子間ポテンシャル(MLIP: Machine Learning Interatomic Potential)の一種であるニューラルネットワークポテンシャル(NNP: Neural Network Potential)を自動生成するためのツールであり、その最大の特長は、高度なアクティブラーニング機能を搭載している点にあります。

図1.GeNNIP4MDの概要

GeNNIP4MDに組み込まれているアクティブラーニング機能は、以下のステップで高精度なMLIPを効率的に構築します(図1)。

  • 候補構造のサンプリング: 現在のNNPを用いてMDシミュレーションを行い、多様な原子構造を生成します。
  • 不確かさベースのスクリーニング: 複数のNNPモデルの予測結果のばらつき(不確かさ)を評価し、予測精度が低い、つまりNNPがまだ学習しきれていない原子配置を特定します。
  • 構造特徴ベースのスクリーニング: 特定された不確かさの大きい構造の中から、既存のトレーニングデータとは異なる、新しい構造特徴を持つものを優先的に選択します。
  • DFT計算によるラベル付け: 選ばれた構造に対して、高精度なDFT計算を実行し、原子のエネルギーや力といった正解データ(ラベル)を生成することで、訓練データを生成します。。
  • NNPの訓練と反復: DFT計算により新たに得られた訓練データを、既存の訓練データに追加し、NNPを訓練します。この一連のプロセスを、NNPの予測精度が十分に高まるまで繰り返します。

このGeNNIP4MDのアクティブラーニング機能により、本研究では、Ni-Mn-H三元系という複雑な系において、最小限のDFT計算コストで、広範な原子配置を正確に記述できる高精度なNNPを効率的に構築することに成功しました。このNNPを用いることで、DFTに匹敵する精度を保ちながら、従来のMDシミュレーションでは不可能だった大規模かつ長時間の水素拡散シミュレーションが可能となりました。

【実験結果】Ni-Mn合金におけるMn添加が水素拡散に与える効果の解明

GeNNIP4MDによって構築されたNNPを用いたMDシミュレーションにより、ニッケル合金へのMn添加が水素拡散挙動に与える影響を解析しました。 Mn含有量に対する水素拡散係数の依存性について評価したところ、構築したNNPのシミュレーション結果は、実験結果を高い精度で再現できました。 さらに、今回のシミュレーションより、Mn添加による水素拡散は、拡散が「促進される作用」と「抑制される作用」の2つの効果のバランスにより決定されることが分かりました。

  • 実験値の定量的再現
    図2は、Mn含有量に対する活性化エネルギーと水素拡散前指数因子についての、実験値とMDシミュレーションの比較結果となります。 シミュレーションから得られた各物理量の傾向は、Omuraらによって報告された実験により得られた非単調な傾向を、極めて高い精度で再現しました。 なお活性化エネルギーに関して、MD計算結果とOmuraらの実験値は、絶対値がやや異なりますが、これはKatzらとVölklらによって報告された実験値の値を考慮すると、その差は実験的不確かさの範囲内です。

図2.MD計算結果と実験値の比較
左図:活性化エネルギーのMn含有量依存性。右図:水素拡散前指数因子のMn含有量依存性

  • Mn添加による非単調な水素拡散のメカニズム解明
    GeNNIP4MDを活用したシミュレーションの詳細な分析により、Mn添加が水素拡散に与える影響が、単一の要因ではなく、以下の二つの主要な効果のバランスによって決定されることが原子レベルで解明できました。
    • Mn-H相互作用による活性化エネルギーの増加:Mn原子が水素原子の近傍に存在すると、Mnと水素の間の強い反発力により、活性化エネルギーが増加し、拡散が抑制される方向に作用します(図3)。
    • Ni格子膨張による活性化エネルギーの減少:Mnが添加されると、Niの結晶格子がわずかに膨張し、水素が拡散する際のエネルギー障壁が低減され、拡散が促進される方向に作用します(図4)。

図3:遷移状態における水素に隣接するMn原子の数に対する活性化エネルギーの関係
・活性化エネルギーは、隣接Mn原子の数の増加とともに増加する傾向となりました。これは、同じ結合長におけるNi-Hと比較して、Mn-Hのより強いコア反発に起因すると考えられます。このメカニズムにより、ホスト金属間の原子間距離が短くなる遷移状態の近くにMn原子が位置する場合に活性化エネルギーの増加を引き起すと考えられます。
・一方で、遷移状態に隣接Mn原子が存在しない場合(隣接Mn原子が0個の場合)、Ni-10.0 at.% MnおよびNi-25.0 at.% Mnの平均活性化エネルギーはそれぞれ0.38 eVおよび0.32 eVであり、いずれも純Ni(0.41 eV)よりも低くなりました。

図4:隣接Mn原子の数がゼロの場合の活性化エネルギーと格子定数の関係
図3で示された、隣接Mn原子が存在しない場合の、Mn含有量の増加に伴う活性化エネルギーの減少傾向(青線、赤線)は、様々な格子定数を持つ純Niで観測された傾向とよく一致しています。この結果は、隣接Mn原子が存在しない場合、活性化エネルギーの減少は、Mnの添加による格子膨張(格子定数の増加)によって引き起こされ、これによりホスト原子間およびホスト原子と水素の間の原子間距離が遷移状態で増加し、コア反発によるエネルギーペナルティが減少することを示しています。

図2に示した、Mn含有量に対する水素拡散の非単調な依存性は、今回のNNP-MDシミュレーションにより解明された「Mn-H相互作用による活性化エネルギー増加効果」と「Ni格子膨張による活性化エネルギー低減効果」とにより説明されます(解析の詳細は、原著論文をご参照ください)。この非単調な依存性は、従来の経験的な知見だけでは説明が困難でしたが、GeNNIP4MDによって実現された原子レベルのシミュレーションによってその詳細なメカニズムが解明されたことで、より精密な材料設計への道が開かれました。

【まとめ】

本研究では、GeNNIP4MDを用いてNi-Mn-H系のNNPを構築し、その結果得られたMDシミュレーションがNi-Mn合金における実験的に観測された水素拡散傾向をうまく再現することを示しました。 さらに、シミュレーション結果の詳細な解析により、Mn添加が水素拡散に与える2つの主要な効果、すなわち「Mn-H相互作用による活性化エネルギーの増加」と「Ni格子膨張による活性化エネルギーの減少」を特定できました。これら2つの効果の解明により、実験やNNP-MDで得られたMn含有量に対する水素拡散の非単調な依存性のメカニズムを説明することができました。これらの洞察は、様々な合金元素が水素拡散に与える影響を解釈する上で貴重です。

本研究の焦点はNi-Mn系でしたが、提案したGeNNIP4MDによるNNPを活用したMDシミュレーションのアプローチは、広範囲の二元ランダム合金における水素拡散に適用可能です。したがって、この技術は、実験測定なしに、多様な合金系における水素拡散に対する合金元素の影響を潜在的に予測できます。そのため、NNPを活用したこのアプローチは水素耐性材料の設計のための強力なツールになると期待されます。

【参考文献】

[1] N. Matsumura et al., "Generator of Neural Network Potential for Molecular Dynamics: Constructing Robust and Accurate Potentials with Active Learning for Nanosecond-Scale Simulations", J. Chem. Theory Comput. 2025, 21, 3832–3846.
[2] K. Ito et al., "Predicting hydrogen diffusion in nickel–manganese random alloys using machine learning interatomic potentials", Commun. Mater. 2025, 6, 195.

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