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Materials Informatics特集 #13:【事例紹介】GeNNIP4MDによるシリカ-フッ酸 固液界面のウェットエッチング

こんにちは、富士通研究所 マテリアルズインフォマティクスプロジェクトの山﨑です。我々のプロジェクトでは、その名の通りMaterials Informatics (MI) の研究開発を行い、材料技術に関するお客様の課題を解決することを目的として活動しております。

今回のMaterials Informatics特集では、私たちが開発している分子動力学シミュレーション向けニューラルネットワーク力場を作成するツールGeNNIP4MD [1]の「知識蒸留」という新機能を活用し、半導体製造の重要プロセスである半導体表面のシリコン酸化膜(シリカ, SiO2)をフッ酸によりウェットエッチングする過程を、固液界面モデルの分子動力学 (Molecular Dynamics, MD) シミュレーションで再現した事例についてご紹介します。

シリカのウェットエッチングとは

はじめに、ウェットエッチングについて簡単に紹介します。これは、半導体ウェハー上に形成された薄膜を、フッ酸などの薬液を用いて化学的に溶かし、除去(エッチング)する技術です。半導体製造において、微細な回路パターン形成には削る方向を制御しやすいドライエッチングなどもありますが、ウェットエッチングも、ドライエッチング後の残渣除去(洗浄)や、下地を傷つけずに特定の膜だけを除去する工程などにおいて、重要な技術となっています。

近年、半導体プロセスの微細化・複雑化に伴い、このウェットエッチングに求められる制御のレベルが格段に上がっています。例えば、3次元的に積層された構造の狭い隙間を洗浄する際、薬液が均一に行き渡らずに残渣が発生したり、あるいは除去したい膜の下にある層にまでダメージを与えてしまったり、といった問題がデバイスの性能や歩留まりに直結するようになりました。

このように、ウェットエッチングには原子レベルでの極めて精密な制御が求められるようになっています。この課題を解決するためには、経験則に基づいた制御だけでは不十分であり、原子レベルで反応メカニズムを理解し、プロセスを最適化することが不可欠です。

反応を扱うMDシミュレーションの難しさ

ウェットエッチングのような液中での化学反応は、実験的にその過程を原子レベルで直接観察することが極めて困難です。そのためシミュレーションによる解析が期待されますが、従来の手法にはそれぞれ以下のような課題がありました。

  • 第一原理計算MD (ab initio MD, AIMD): 量子力学に基づき化学反応を正確に記述できますが、計算速度が非常に遅く、シミュレーション可能な時間スケールと原子数は、例えば数百原子の系では、典型的には高々100ピコ秒ほどに制限されます。そのため、ウェットエッチングのようなナノ秒単位の比較的長い時間で進行する現象の全体像を捉えることは困難です。
  • 古典力場を用いたMD: 計算が高速で大規模・長時間のシミュレーションを可能にしますが、使用する経験的ポテンシャルの数理モデル以上の原子間相互作用の表現ができないため、結合の生成や解離を伴う「化学反応」そのものを原理的に扱うことができません
  • 反応力場を用いたMD (ReaxFFなど): 化学反応を扱えるよう設計された経験的な力場ですが、対象とする元素の組み合わせごとに多数のパラメータを専門家が手動で調整する必要があり、力場の開発自体が非常に困難で多くの時間を要するという課題があります。

このように、「精度」と「計算コスト・シミュレーション規模」の間にトレードオフが存在し、複雑な化学反応を実用的な規模で高精度にシミュレーションすることは困難でした。

GeNNIP4MDの「知識蒸留」

今回、私たちはGeNNIP4MDの「知識蒸留」機能を用いることで前述の課題を解決し、フッ酸を用いたシリカのウェットエッチング過程を明らかにすることができました。 図1にGeNNIP4MDの知識蒸留の概要を示します。

図1 GeNNIP4MDの知識蒸留機能

GeNNIP4MDの知識蒸留では、オープンソースなどで公開されている、大量のデータで訓練された事前学習済みの機械学習力場を教師モデルとして、その知識を軽量な生徒モデルに効率よく移すことができます。これにより、ゼロから生徒モデルを訓練する場合に比べて、教師データの数を少なく抑えることができます。この知識蒸留により、従来は開発が困難であった「化学反応を高精度に記述でき、かつ大規模・長時間のシミュレーションが可能な機械学習力場」を、少ない計算コストで自動的に構築することが可能になります。

固液界面モデルのMDシミュレーション結果

上述の知識蒸留機能を用いて作成した機械学習力場を用いて、シリカをフッ酸でウェットエッチングするMDシミュレーションを実行しました。 シミュレーションには図2(a)に示す26,712原子の初期構造を用いました。この初期構造では中心にシリカを配置して、その上下をフッ酸で満たすことで、上下方向に反応が起こる界面を作成しています。この初期構造を用いて、NVTアンサンブルで5ナノ秒のMDシミュレーションを行いました。

図2 シリカのウェットエッチングの過程

図2(b)にシミュレーションの過程を示します。図2(b)では、フッ酸の溶液は表示せずシリカと反応生成物のみを表示しています。この図より、時間の経過とともにシリカがエッチングされ、フッ酸溶液中にシリコンのフッ化化合物が生成されていることが分かります。

次に、ウェットエッチング中に、どのような化学反応が起こることで、シリコンがフッ酸溶液中に脱離していくのかの分析事例を紹介します。 表面のシリコンには図3(a)に示すように、2つのシラノール基 (Si表面のOH基) と2つのシロキサン結合 (Si-O-Si) があります。 このうち、シラノール基がフッ化水素のフッ素原子に置き換わり、さらにシロキサン結合もフッ素原子に置き換わることで、他のシリコンとの結合がなくなり、フッ酸溶液中に脱離していきます。

図3 シラノール基の反応

図3を用いてシラノール基がフッ素に置換される反応を説明します。

  • (a): まず、シリコン原子には2つのシラノール基と、シロキサン結合を形成している2つの酸素原子が結合しています。
  • (b): 右に存在するフッ化水素がシラノール基の水素に引き寄せられてシリコンに接近します。
  • (c): そして、フッ化水素が水素を水分子に放出します。水素を受け取った水分子はヒドロニウムイオンになります。
  • (d): その後、水素を放出したフッ化水素のフッ素がシリコンに結合します。
  • (e): 5配位の状態になって不安定なシリコンの、左上のシラノール基にフッ化水素が近づきます。
  • (f): そして、フッ化水素が水素をシラノール基に放出することで、シラノール基が水分子になります。
  • (g): 最後に、水分子がシリコンから脱離して、水素を放出したフッ化水素は水のネットワークから余っている水素を受け取り、反応が終了します。

図4 シロキサン結合の反応

次に、図4を用いて、シロキサン結合が切断される反応を説明します。

  • (a): まず、シラノール基が2つともフッ素に置換されているシリコンがあり、その周囲に2つのフッ化水素と水分子が存在しています。
  • (b): 先ほどのシラノール基の反応と同様に、フッ化水素がシリコンに近づきます。
  • (c): そして、フッ化水素が水素を水分子に放出して、残ったフッ素がシリコンに結合します。
  • (d): その後、左にあるシロキサン結合のペアのシリコンに別のフッ化水素が近づき、水素を放出しようとします。
  • (e): シロキサン結合が切れて、酸素原子にはフッ化水素から水素原子が渡されてシラノール基になります。フッ化水素はヒドロニウムイオンになっていた水分子から水素原子を受け取り、フッ化水素に戻ります。

このような反応が表面のいたるところで起きて、徐々にシロキサン結合が切断され、両方のシロキサン結合が切断されたシリコンがフッ酸溶液中に脱離していきます。

さいごに

今回は、GeNNIP4MDの「知識蒸留」機能を活用し、シリカのウェットエッチングという界面系の複雑な化学反応過程を、大規模かつ高精度なMDシミュレーションで再現した事例をご紹介しました。

本手法により、従来はシミュレーションが困難であった数万原子規模の系における化学反応を、第一原理計算に匹敵する精度で追跡することが可能になりました。これにより、実験的な観測が難しい原子レベルでの反応メカニズムの解明が進み、半導体製造プロセスの最適化や新たな材料設計への貢献が期待されます。

参考文献

[1] N. Matsumura, et al., "Generator of Neural Network Potential for Molecular Dynamics: Constructing Robust and Accurate Potentials with Active Learning for Nanosecond-Scale Simulations.", J. Chem. Theory Comput. 2025, 21, 3832–3846.

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