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量子ゲート操作の精度を極限へ!富士通のダイヤモンド量子ビット技術の深層に迫る - fltech - 富士通研究所の技術ブログ

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量子ゲート操作の精度を極限へ!富士通のダイヤモンド量子ビット技術の深層に迫る

はじめに

 こんにちは、富士通研究所 量子研究所の松村と申します。量子研究所では、従来コンピュータとは違う原理による圧倒的な計算能力で、様々な社会分野において革命をもたらすとされる量子コンピュータの研究を行っています。

 この記事では、2025年3月24日のプレスリリース「ダイヤモンドスピン量子ビットの高精度量子ゲート操作技術を開発」[1]を、技術的に深掘りして、今回発表した技術の価値・意義を解っていただくことを目的として書きました。最近量子コンピュータの世界で発表されている様々な素晴らしい成果と同様、「富士通のダイヤモンドスピン量子コンピュータもすごいじゃない」と少しでも思っていただければ幸いです。

ダイヤモンドスピン量子コンピュータとは?

 まず、我々が研究パートナーのデルフト工科大学、及びその量子技術研究期間であるQuTech[2]と研究を進めているダイヤモンドスピン方式(長いので、以下”本方式”と書きます)の量子コンピュータの特長について説明します。

 本方式では、ダイヤモンド結晶中の炭素原子が窒素やスズと空孔に置き換わった”色中心”と呼ばれる構造に現れる、電子スピン、置換原子の原子核スピン、その周辺の複数の13C炭素同位体の原子核スピンを量子ビットとして用います。今回発表の技術では、窒素による色中心(窒素-空孔色中心、NV Center)を扱い、その模式図は図 1のようになり、これが量子コンピュータを構成する単位モジュールとなります。

図1 ダイヤモンドスピン方式量子コンピュータ(NV Center使用)の単位モジュール

 本方式の量子コンピュータの特長は大きく2つあります。1つ目は、電子スピン量子ビット同士を光で通信させることが可能なことです。他方式の量子コンピュータでは、量子ビット間の相互作用実現のために、物理的な配置に様々な制約が付くことが多いのですが、光での接続は比較的これが緩く、単位モジュールを並べることによる大規模化がしやすいアーキテクチャです。2つ目は、1K(ケルビン)以上という比較的高温動作が可能なため、20mKという低温が必要な超伝導型量子コンピュータに比べて、冷却に必要なエネルギー を約1/1000にでき、冷却設備を大幅に簡略化できることです。これらの技術的優位点から、富士通は将来の大規模量子計算システム実現に適した技術と考え、その研究開発を進めています。

 このダイヤモンド結晶からなる単位モジュールで量子コンピュータを構成するには、その製造技術に加えて、様々な技術開発が必要になります(以下括弧内は下図2の技術分野名に対応)。具体的には、本方式に適したエラー訂正アルゴリズムの開発(量子アルゴリズム、エラー訂正)、ユーザ入力である量子アルゴリズムを本方式の量子コンピュータで実現可能な量子ゲート操作列に変換するコンパイラの開発(コンパイラ、マイクロアーキテクチャ)、各量子ゲートでの単位モジュールへの電磁波/磁場/レーザーなどの物理操作の決定(量子ゲート設計、今回の発表内容はこれ)、量子ゲート操作の仕様通りの電磁波/磁場/レーザーを実現する電子回路(インターフェイスエレクトロニクス)や光学コンポーネント(ダイヤモンドスピン量子チップ)、これら全体を集積する技術(3次元集積)などです。富士通は、ダイヤモンドスピン制御について世界トップクラスの技術を持つデルフト工科大学とタッグを組み、これらの全領域に渡る共同研究に取り組んでいます。

図2 富士通-デルフト工科大学のダイヤモンドスピン量子コンピュータ共同研究概要

 ダイヤモンドスピン方式量子コンピュータ、及びデルフト工科大学との共同研究に関しては、他のFujitsu Tech Blog記事でも紹介しております。是非ご覧ください[3]-[6]

プレス内容の技術解説

 以下が今回公表されたプレスリリースの内容をまとめたものです。それぞれについて解説していきます。

【開発技術のポイント】
1. 高純度ダイヤモンドの使用による環境ノイズ源の低減
2. 環境ノイズを低減するデカップリングゲートの設計
3. ゲートセットトモグラフィの適用

【実現できたこと】
ダイヤモンドスピン量子ビットの1,2量子ビットゲート両方で0.1%未満のエラー確率を世界で初めて実現

ポイント1:高純度ダイヤモンドの使用による環境ノイズ源の低減

 先に述べたように、本方式では、色中心周辺の13Cの原子核スピンも量子ビットとして用いることができます。これは、13Cの原子核スピンが色中心の電子スピンと電磁気的な相互作用を持つためです。しかし、「電磁気的な相互作用を起こす」ことは、それが意図したものでない場合、電磁波の照射によって実現される 量子ゲートにとっては環境ノイズとなり得ることを意味します。通常のダイヤモンド試料には13Cは自然界での含有率と同程度(1%)含まれており、それによるノイズは大きなものであるため、今回は13C濃度を自然界の 1/100程度まで減らした高純度ダイヤモンドを用い、電子スピンと窒素原子核スピンによる2量子ビット系で実験を行いました。

ポイント2:環境ノイズを低減するデカップリングゲートの設計

 高純度ダイヤモンドを使用しても、13Cの影響は完全に除去できるものではありません。また、窒素核スピンも電子スピンとの相互作用を持つので、必要に応じてその影響を排除しなければなりません。さらに、色中心を量子ビットとして使うために外部から与える静磁場の軸のずれ、電磁波制御自体の不正確さ等もノイズ要因になります。これらの各種ノイズの影響を低減する手段として"デカップリング"と言う技術が知られています。これは電子スピンにその状態を反転させるマイクロ波パルスを定期的に照射することで、環境ノイズからの影響も定期的に反転させ、長期的にはその影響を打ち消す技術です。今回開発した量子ゲート操作はデカップリングベースものですが、次に述べるゲートセットトモグラフィによって得られた情報から詳細なノイズ要因の解析を実施、それに基づくマイクロ波のパラメータ(周波数・強度、スピン反転パルスの間隔など)の最適化を行うことで、エラーを極限まで削減しています。

図3 デカップリングゲートのイメージ(13C、その他の影響を受けないようにNVセンターを操作)

ポイント3:ゲートセットトモグラフィの適用

 上記で述べたような量子ゲート操作の最適化を行うには、実装した量子ゲート操作でどのようなエラーが生じているのかを調べる必要があります。本研究では「ゲートセットトモグラフィ」と言う、集めなければいけないデータ量(必要な実験実施数)は多いものの、他の手法に比べて詳細で完全なエラー情報を得ることが出来る手法を用いました。ダイヤモンドスピン量子ビットへのゲートセットトモグラフィの適用は、我々が知る限り世界で初めての試みになります。

今回の発表技術で達成したことの価値・意味

 量子ゲート操作の工夫による精度向上は、一朝一夕にできるものではなく、継続的な取り組みを行っています。その中で今回達成した「ダイヤモンドスピン量子ビットで、0.1%未満のエラー確率を世界で初めて実現」は実用的な量子コンピュータを作る上で重要な意味、価値を持っています(ですので今回プレス発表することになりました) 。以降では、それを説明していきます。

 量子ビットには、外界からのノイズやゲート操作の不正確さに起因する“エラー”が発生します。何の対策も無く、現在の量子コンピュータの計算規模(量子ビット、量子ゲート数)を応用上古典コンピュータに対して優位性を示せるまで拡大すると、エラーの蓄積によって、最終的な計算結果は意味のないものとなるとされています。このため、量子コンピュータがその実力を発揮するには、発生するエラーを訂正しながら計算を進めることが出来る”量子エラー訂正”の実現が必要とされています。

 量子エラー訂正は、ごく簡単に言うと、1つの論理的な量子ビットを複数の物理的な量子ビットを用いて表現することで冗長化し、物理量子ビットに生じるエラーの検出と訂正処理を本来行いたい計算と同時並行的に矛盾なく行うことで実現されます。この冗長化による量子ビット数の増加やエラー検出・訂正のために追加で行われる量子ゲート操作の増加の影響を加味しても、物理量子ビットのエラー確率を一定の値(しきい値)以下にすると、量子計算で発生するエラーをいくらで小さくできることが知られています。このしきい値は、論理量子ビットを物理量子ビットに冗長化(符号化)する方法や、エラーの発生する箇所等様々な要因に依存するのですが、おおむね、0.1%程度を実現できれば良いとされています。

 実は、ダイヤモンドスピン量子ビットにおいて、本発表と同程度のエラー確率を報告する先行研究も存在します。しかしながら、エラー訂正を行うのに必要な量子ビットゲート全体を備えていない部分的なものでした。この観点で、今回発表の技術では、任意の量子状態を実現する1量子ビットゲートと、CNOTを実現する2量子ビットゲートの実装をを含んでおり、「ダイヤモンドスピン量子ビットを用いた量子コンピータが量子エラー訂正を実行しながら量子計算を行う可能性を世界で初めて示した」ということで、大きな意味を持つのです。また、今回実現されたエラー確率(0.1%未満)は他の量子コンピュータ方式と比較しても相当に低い部類に入り、ダイヤモンドスピン方式の優位性を示した成果としても大きな価値を持ちます。

まとめ

 ここまで述べてきたように、今回我々はダイヤモンドスピン方式の実用的量子計算の可能性と高いポテンシャルを示しました。一方で、実用的な量子コンピュータの実現には、まだまだ様々な技術的課題が存在します。例えば、今回発表の技術は量子コンピュータを構成するモジュール”内”の量子ゲート操作に関するもので、モジュール”間”の量子ゲート操作についても、同様に高い精度を実現する必要があります。また、現在、個別に研究開発を進めている要素技術を1つのシステムとして纏めあげていくに従い、技術間の妥協点を探ったり、さらなる未知の解決が必要な問題も出てくるでしょう。

 我々は、これらを解決し、ダイヤモンドスピン量子コンピュータで世界に革命をもたらすことを目指して研究に邁進していきたいと思います。富士通のダイヤモンド量子スピンコンピュータにご期待ください!

参考文献

[1] ダイヤモンドスピン量子ビットの高精度量子ゲート操作技術を開発 : 富士通
[2] 富士通とデルフト工科大学、量子技術を基盤とする先端コンピューティング技術の発展に向けた産学連携拠点を設置 : 富士通
[3] Q2B23 Tokyo にて講演・展示を行いました! - fltech - 富士通研究所の技術ブログ
[4] Q2B24 Tokyo にて講演・展示を行いました! - fltech - 富士通研究所の技術ブログ
[5] Q-Expoに参加しました#1 - fltech - 富士通研究所の技術ブログ
[6] Q-Expoに参加しました#2 - fltech - 富士通研究所の技術ブログ